お彼岸の中日である平成26年3月21日(金)午後2時より、詩人・茨木のり子の菩提寺としても知られる浄禅寺において、「太子講」が行われました。
(太子講の詳細は下記に記してあります)
浄禅寺は加茂の街と海が見渡せる高台に位置し、そこからの景色の素晴らしさから、「浄禅寺から見る加茂」が鶴岡市の「ふるさと景観資源」にも選ばれています。ちなみに加茂地区ではほかに、「今泉海岸」と「加茂港の石積み防波堤」も入っています。
当日は講員の皆さんと本堂での御祈祷のあと、本堂の左手に建つ太子堂(明治16年完成)にて御祈祷、その後総会が開かれました。
「加茂太子講について」 -浄禅寺住職 西方信夫さんより-
聖徳太子は推古天皇の摂政(593年)になられ、その間のご功績は誠にすばらしいものである。建国の祖として、仏教を根幹とした日本政治の独立を示され、その中心は17憲法であり、日本仏教の祖、また和国の教主とも言われました。
大陸文化を我国に調和させた文化の指導者でもあるとともに、50数種の諸職業を広められました。
太子の時代から普通の家大工とは別に宮大工仲間があり、主として寺院建築にあたる者で特殊な技術を要するため格式が高いとされておりました。
このため、宮大工達が太子を信仰の対象としたのが始まりであったということです。
その後、家大工などの職人達の社会に太子信仰が全国的に広がっていったようです。
加茂太子講は春の彼岸の中日に年一回の御祈祷と総会を行っております。
浄禅寺太子講の記録によれば、天保11年(1840年)「太子講連中記帳正月吉日改」とあることから、それ以前に存在していたものと考えられます。
この講の活動内容は、職人の賃銭決定、冬期間の生活保障、講員の見舞、弔慰、表彰そのほか政治的にも重要な発言力を持っていた事が記録に残っています。
幾多の変遷を経て終戦後は活動内容が大きく変わってきており、社会情勢も変動し職業人と限定するものではなく、聖徳太子の御聖徳を尊敬し、信仰される方ならばだれでも加入しております。
最盛期の時は82名の講員でしたが現在は26名です。このすばらしい伝統を残すためにも
興味、関心のある方はどうか講員になったください。
太子堂にあります聖徳太子像は、室町時代 文明6年(1474年)浄禅寺開祖寂蔵坊が福井県吉崎で本山第8代蓮如上人より授けられた仏像です。
船にて、聖徳太子の像も運ばれて来たんですね。まさに古の港町「加茂」です。